全体の近代的な哲学の基礎はすべての人々知ているルネ・デカルトの「我思う、ゆえに我あり」格言です。しかしこれについては話すつもりはありませんが、近代的な現実とかなり近代的なはない現実に適用されたことが出来るもっと特別な事例。
純粋な理論つまり実験検証なし理論は時間が経つに間違いを蓄積して弱いとなって崩れます。純粋な理論づけは近似値計算のように機能している:間違いが蓄積しています。彼らは参照データが正確のように見えて疑いを挑発しないにもかかわらず蓄積します。
想像して下さい、あたかも誰かは不合理なデータから発する理論を発展したでしょう。例えば、あたかも地球が立方体の形をもっています。そんな哲学の歴史がどんなでしたでしょうか。これは競合することができなかったでしょうそして既に忘れられたでしょう。そんな理論がさえ今日まで存在することが出来たら、読者たちを楽しませて楽しむ事だけのためにです。いいえ、不合理な参照データを持っている哲学がではありません。
すべての哲学は説得する事のように見えている、木の幹と主な枝がはっきり描かれるのようにです。そして二次的な枝と全く小さい枝はそんな木に付与されている。それはだんだん簡単に迷うことが出来る密林になっていまう。すべての作成者は確かに彼の作品賞賛している。賞賛は聞かれています、例えば:「カール・マルクスの哲学は全能のだ、それが正しいですから」。
人はそんな木のすべての小さい枝を勉強して、全体の人生を浪費することが出来るが、どんな木が正しいです事を死まで分からなくて。(もちろん、生活の時間が足りたらでしょう)。しかし彼があの木の果物を味わったら、そのときだけすべては明らかになります。
そんな質問に心を向けって下さい:タマゴテングタケが有毒なです事実は理論でだけ確証されたことが出来ますか。きっと誰も未だこんな仕事を始め冒しませんでした。しかし私達は食べるのためにタマゴテングタケを選んでいません、毒を盛られる人々の辛い経験を知っていますから。
たまたま、先行する世紀が認識と実験の世紀になった。マルクスの哲学の実験はほぼ完璧な行われました。実験のために沢山の国家取られました。彼らは多様な宗教や多様な心理や多様な発達の程度や多様な収入の程度を持っていました。社会主義の集合も多様なで、さえドイツのナチズムを包含して。今マルクスの哲学が地球の天国を創りしたでしょう国家又は地方を見つけて下さい。しかし安くて役に立たない製品で全体の世界を欺いて経済的に成功した中国について話さないでくださいが、マルクス主義が理由で全然ではありませんでした。結論は明らかだ:共産主義の考えが毒です。共産主義とナチズムが全体の革新的な人類がゴミ捨て場に投げた毒です。イデオロギーの次元から一番低開発諸国だけは浮浪者のようにゴミ捨て場からこの死肉を取り出して味わっている。今独逸はいくつかのフューレルなしも祖国や国民の偶像にいくつかの崇拝もなしが、素晴らしくて自由な発達した国となった。敗者の国だけのほとんどの人はスターリンやレーニンやヒトラーを夢見ています。
私達は幸せな時代で暮らしている、最後の数世紀の期間中人々をそう魅惑していた有毒な果物が開示される時にです。この知識はとても高い価値で得られた、この価値は数1000万人の命です。あの時代の辛い体験から受けられた悪い習慣を取り除くのために十分な勇気を持っていない人々や考えなくて彼ら自身を欺き去っている人々は未だ歴史の暗い瞬間のすっぱぬかれた偶像に崇拝していて共産主義とナチズムの悪魔の当局に仕えている。時々彼らは共産主義と基督教を不合理な対比し試みている。私達はここで一基礎に来た。
キリストは社会の上に個人の利点について伝えていました:「人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである」。ルカの福音書(6:22〜23)。
ここには実用的な現実の共産主義がすっかり異なる勧めを与えます。あたかも単独の人が無価値ですが、一緒にすべての人々が偉い力でしょう事は多すぎる押し付けられる。一度一ロシア政治家「チェルノミルディン」はこの偉い力が齎す結果について言った:「私達がより良い事を欲しかったが、判明した常にのようにです」。しかし事はこの様にだけ常に判明する、それが自然な正当性ですから。群れの法律が支配している、個人主義が迫害されているそして主導が抑えられている場所では、健康的な何かが作られる又はされる事を期待しなくて下さい。それが製品でしたら、それは競争を生き残りません。それが一隊でしたら、それは素晴らしい講談師クリロフの「四重奏」によく似ている:「友達たち、あなたたちが座っている秩序は重要ではありません。あなた達は悪い音楽家ですにもかかわらず」。ここには大きな理論を発展する必要がではありません。良い事例が先進と繁栄の西洋国々にでしたら、何のために理論ですか。集産主義ないが個人主義は彼ら国々で統べています。あそこには個人が社会を支配しているが、逆にがではありません。これは現実の主な基礎そしてこれを記憶する事が難しいではありません。
二番の基礎は永遠の価値です。これが神と恋と真実と自由です。これが正しい価値です。社会は彼らに対する偽価値を押しつけている。あれが「祖国」や国民や国家や組織や政党。この話題を勉強して、思考の惑わすことが出来る流れを使わないより良い事がでしょうが、実用的な事例を使う。英国には「祖国」の概念が全然ではありません。ラジオ局ビー・ビー・シーはある日ではっきりこの事について発表した。イギリス人と米国人が彼らの国を愛していたら、彼らは何に対する愛する理由を持っています。それらの誰かが彼の国を失くしたら、彼は自由と彼を守る法律と彼の能力を自身と自分の家族と周囲の人々の利益のために適用する機会を失くする、つまり彼はすべてを失くしましたでしょう。しかしロシア人が彼の国を失くしたら、彼は何を失くしたでしょうか。それは彼が養っている無能な公務員の巨大数ですか。それは罰を受けなくて給与を時間通り支払わない雇用者ですか。それはほとんどの場合彼を守らない警官たちですかが、ある日彼らは彼を彼が犯さない犯罪に対する投獄することが出来るか。それはある日政治的な裏工作のために彼の家を爆破することが出来る悪党たちがですか。それは彼の息子を「カフカスを治める」のために無理矢理送るあの悪党たちですか。しかしこれは集団虐殺や戦争犯罪を犯すそして結局これに対する命を失う事を実際に意味している。しかし自尊心あって自由な人となるのために彼はあまり必要ありません:ここに記述される悪い人々は実在の彼の敵や彼の国を1917年で壊した侵略者です事を悟るだけ。今彼らはこの国の腐敗した死体で喜んで太っているそして彼らが強制的に崇拝させている「祖国」は彼らの自分の犯罪を正当化する悪魔的な偶像。こと偶像はあの詩人エセニンが詩を書いた祖国と関係を全然持っていません。ヒトラーも祖国を愛し要求していた事実を思い出させる事は不必要なではありませんでしたでしょう。国民を愛する事もあそこに行なわれったが、後私達はそれについて話す。ソビエトの愛国心の味方が彼らも愛国者たちだ西洋について話している事実を思い出させる事は今不必要なではありませんでしょうが、それはあまり事実ではありません。彼らは実際に他愛国者たちですから。西洋諸国では、国家は人のために作られるが、人は国家のために作られません。のにソビエトの空論家と愛国心の教育者たちは国家の利点を押し付けています。どれか米国人に、誕生の瞬間から彼が彼がアメリカに永遠の借りがある事を押しつける試みて下さい。あたかも、彼も何をしようともが、彼は永遠の債務者と留まる。思う、彼はあなたが狂い始めている事を考えなす。自分の国を愛する事は悪いものを全然含まない、何かに対するこの国を愛する事があったら。しかし人を嘲って迫害している国家を褒める事はこの国家の奴隷の賞賛や奴隷の心理の指標です。
国民の概念は僕の「山国」で記述されたが、現実の出来事を鑑みて、国事のあそこで考慮されなかったもう一つアスペクトを無視してはだめです。はい、国民が群衆です。国民と永遠の価値を等しいと考慮してはだめです。個人の国籍も有罪又は価値又は誇りの理由となる事が出来ません。僕はここでソビエトの又はネオソビエトの体制から分れた国民を解放について話しています。今そんな解放は僕が支えるだけことが出来るオレンジ革命と呼ばれています。ウクライナはすべての奴隷にされた世界の国国を解放する事が物理的に出来なかったでしょう。例えば、中国や北朝鮮やキューバを。 ウクライナはウクライナだけを解放する事が出来る、そして部分的にではないが、すっかり解放します。
そしてここには価値のよくない配置の危険が隠しています。自分の国民解放する仕える人々は国民のためにないが自由のためにそれをしています。彼らは各人が一人一人自由なとなったでしょう事のためにそれを最初にしています。各人は自分自身と自分の霊的に又は親族で親しい人を解放する事のために解放の過程でそう行動していますが、何か発明される国民に存在しない負債を支払う債務者が全然いません。
民族間関係の機械が複雑あまりない。それは比較的に易いそして国事について哲学の密林を作る必要ではありません。最初に、簡単な 規則を記憶する事が足りる:私達が人を精通しなくてが彼の民族を知っていたら、彼の未来で行儀の確率だけについて話してもいいですが、私達は民族で人を判断する権利を持っていません。知らない人に対する唯一否定的な態度が不信ですが、それもこの知らない人の民族に依存しません。しかしこの不信は全然侮辱的なと見えてはだめです事のように、扉に錠と窓に警報は侮辱的なと見えていません。
民族紛争は人々が友達となって同じ敵に対する対決する事が出来たでしょうその人々を口論に巻き込む事が出来る悪である。人類は民族紛争を支えるそんな経典を持っていません。しかし主な悪は自分を解放する目的があるくびきの代わりに、国民に奉仕する新しいくびきを押し付けられている事で成り立つ。そして動きは個人の上に群衆の利点の方向に起こっている、国民が群衆ですから。時間通り止めなかったら、それは余儀なく全体主義に繋がります。
社会の上に個人の利点は群衆の上に当局全然ではありません。どれでも暴君はこの群衆の部分ですからが、彼がこの群衆で上又は下の地位を占めて居ようともです。より良い地位は群衆の上にではないが群衆の外です。物理的に群衆の外いる事は余儀なくではありません。精神的な隠遁生活は意味される。つまり、自分自身を意見をもっていまして、自分自身の発達を止めないのためにその群衆の概念で判断しない必要があります。それももっと開発して、群衆の概念を無視して、もっと完璧なとなります。それとも、自分の価値体系について群衆の人々を全然知らせません。
それは丁度同じ西洋の基督教の個人主義がでしょう。そして基礎はここに記憶するのために二つ事だけです。第一の基礎が社会の上に個人の利点です。それが正しい基督教です。個人の上に群衆の利点事が悪魔の全体主義に導く悪です。
二番目の基礎は解放する正しい価値です。これが神と恋と真実と自由です。奴隷にする偽の価値は祖国と民族と国家と組織と政党です。
あなただけがこれら価値中で選びます。あなたの代わりに誰もはこの選択をしません。
英語で同じもの The same in English: https://www.proza.ru/2012/08/29/806
純粋な理論つまり実験検証なし理論は時間が経つに間違いを蓄積して弱いとなって崩れます。純粋な理論づけは近似値計算のように機能している:間違いが蓄積しています。彼らは参照データが正確のように見えて疑いを挑発しないにもかかわらず蓄積します。
想像して下さい、あたかも誰かは不合理なデータから発する理論を発展したでしょう。例えば、あたかも地球が立方体の形をもっています。そんな哲学の歴史がどんなでしたでしょうか。これは競合することができなかったでしょうそして既に忘れられたでしょう。そんな理論がさえ今日まで存在することが出来たら、読者たちを楽しませて楽しむ事だけのためにです。いいえ、不合理な参照データを持っている哲学がではありません。
すべての哲学は説得する事のように見えている、木の幹と主な枝がはっきり描かれるのようにです。そして二次的な枝と全く小さい枝はそんな木に付与されている。それはだんだん簡単に迷うことが出来る密林になっていまう。すべての作成者は確かに彼の作品賞賛している。賞賛は聞かれています、例えば:「カール・マルクスの哲学は全能のだ、それが正しいですから」。
人はそんな木のすべての小さい枝を勉強して、全体の人生を浪費することが出来るが、どんな木が正しいです事を死まで分からなくて。(もちろん、生活の時間が足りたらでしょう)。しかし彼があの木の果物を味わったら、そのときだけすべては明らかになります。
そんな質問に心を向けって下さい:タマゴテングタケが有毒なです事実は理論でだけ確証されたことが出来ますか。きっと誰も未だこんな仕事を始め冒しませんでした。しかし私達は食べるのためにタマゴテングタケを選んでいません、毒を盛られる人々の辛い経験を知っていますから。
たまたま、先行する世紀が認識と実験の世紀になった。マルクスの哲学の実験はほぼ完璧な行われました。実験のために沢山の国家取られました。彼らは多様な宗教や多様な心理や多様な発達の程度や多様な収入の程度を持っていました。社会主義の集合も多様なで、さえドイツのナチズムを包含して。今マルクスの哲学が地球の天国を創りしたでしょう国家又は地方を見つけて下さい。しかし安くて役に立たない製品で全体の世界を欺いて経済的に成功した中国について話さないでくださいが、マルクス主義が理由で全然ではありませんでした。結論は明らかだ:共産主義の考えが毒です。共産主義とナチズムが全体の革新的な人類がゴミ捨て場に投げた毒です。イデオロギーの次元から一番低開発諸国だけは浮浪者のようにゴミ捨て場からこの死肉を取り出して味わっている。今独逸はいくつかのフューレルなしも祖国や国民の偶像にいくつかの崇拝もなしが、素晴らしくて自由な発達した国となった。敗者の国だけのほとんどの人はスターリンやレーニンやヒトラーを夢見ています。
私達は幸せな時代で暮らしている、最後の数世紀の期間中人々をそう魅惑していた有毒な果物が開示される時にです。この知識はとても高い価値で得られた、この価値は数1000万人の命です。あの時代の辛い体験から受けられた悪い習慣を取り除くのために十分な勇気を持っていない人々や考えなくて彼ら自身を欺き去っている人々は未だ歴史の暗い瞬間のすっぱぬかれた偶像に崇拝していて共産主義とナチズムの悪魔の当局に仕えている。時々彼らは共産主義と基督教を不合理な対比し試みている。私達はここで一基礎に来た。
キリストは社会の上に個人の利点について伝えていました:「人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである」。ルカの福音書(6:22〜23)。
ここには実用的な現実の共産主義がすっかり異なる勧めを与えます。あたかも単独の人が無価値ですが、一緒にすべての人々が偉い力でしょう事は多すぎる押し付けられる。一度一ロシア政治家「チェルノミルディン」はこの偉い力が齎す結果について言った:「私達がより良い事を欲しかったが、判明した常にのようにです」。しかし事はこの様にだけ常に判明する、それが自然な正当性ですから。群れの法律が支配している、個人主義が迫害されているそして主導が抑えられている場所では、健康的な何かが作られる又はされる事を期待しなくて下さい。それが製品でしたら、それは競争を生き残りません。それが一隊でしたら、それは素晴らしい講談師クリロフの「四重奏」によく似ている:「友達たち、あなたたちが座っている秩序は重要ではありません。あなた達は悪い音楽家ですにもかかわらず」。ここには大きな理論を発展する必要がではありません。良い事例が先進と繁栄の西洋国々にでしたら、何のために理論ですか。集産主義ないが個人主義は彼ら国々で統べています。あそこには個人が社会を支配しているが、逆にがではありません。これは現実の主な基礎そしてこれを記憶する事が難しいではありません。
二番の基礎は永遠の価値です。これが神と恋と真実と自由です。これが正しい価値です。社会は彼らに対する偽価値を押しつけている。あれが「祖国」や国民や国家や組織や政党。この話題を勉強して、思考の惑わすことが出来る流れを使わないより良い事がでしょうが、実用的な事例を使う。英国には「祖国」の概念が全然ではありません。ラジオ局ビー・ビー・シーはある日ではっきりこの事について発表した。イギリス人と米国人が彼らの国を愛していたら、彼らは何に対する愛する理由を持っています。それらの誰かが彼の国を失くしたら、彼は自由と彼を守る法律と彼の能力を自身と自分の家族と周囲の人々の利益のために適用する機会を失くする、つまり彼はすべてを失くしましたでしょう。しかしロシア人が彼の国を失くしたら、彼は何を失くしたでしょうか。それは彼が養っている無能な公務員の巨大数ですか。それは罰を受けなくて給与を時間通り支払わない雇用者ですか。それはほとんどの場合彼を守らない警官たちですかが、ある日彼らは彼を彼が犯さない犯罪に対する投獄することが出来るか。それはある日政治的な裏工作のために彼の家を爆破することが出来る悪党たちがですか。それは彼の息子を「カフカスを治める」のために無理矢理送るあの悪党たちですか。しかしこれは集団虐殺や戦争犯罪を犯すそして結局これに対する命を失う事を実際に意味している。しかし自尊心あって自由な人となるのために彼はあまり必要ありません:ここに記述される悪い人々は実在の彼の敵や彼の国を1917年で壊した侵略者です事を悟るだけ。今彼らはこの国の腐敗した死体で喜んで太っているそして彼らが強制的に崇拝させている「祖国」は彼らの自分の犯罪を正当化する悪魔的な偶像。こと偶像はあの詩人エセニンが詩を書いた祖国と関係を全然持っていません。ヒトラーも祖国を愛し要求していた事実を思い出させる事は不必要なではありませんでしたでしょう。国民を愛する事もあそこに行なわれったが、後私達はそれについて話す。ソビエトの愛国心の味方が彼らも愛国者たちだ西洋について話している事実を思い出させる事は今不必要なではありませんでしょうが、それはあまり事実ではありません。彼らは実際に他愛国者たちですから。西洋諸国では、国家は人のために作られるが、人は国家のために作られません。のにソビエトの空論家と愛国心の教育者たちは国家の利点を押し付けています。どれか米国人に、誕生の瞬間から彼が彼がアメリカに永遠の借りがある事を押しつける試みて下さい。あたかも、彼も何をしようともが、彼は永遠の債務者と留まる。思う、彼はあなたが狂い始めている事を考えなす。自分の国を愛する事は悪いものを全然含まない、何かに対するこの国を愛する事があったら。しかし人を嘲って迫害している国家を褒める事はこの国家の奴隷の賞賛や奴隷の心理の指標です。
国民の概念は僕の「山国」で記述されたが、現実の出来事を鑑みて、国事のあそこで考慮されなかったもう一つアスペクトを無視してはだめです。はい、国民が群衆です。国民と永遠の価値を等しいと考慮してはだめです。個人の国籍も有罪又は価値又は誇りの理由となる事が出来ません。僕はここでソビエトの又はネオソビエトの体制から分れた国民を解放について話しています。今そんな解放は僕が支えるだけことが出来るオレンジ革命と呼ばれています。ウクライナはすべての奴隷にされた世界の国国を解放する事が物理的に出来なかったでしょう。例えば、中国や北朝鮮やキューバを。 ウクライナはウクライナだけを解放する事が出来る、そして部分的にではないが、すっかり解放します。
そしてここには価値のよくない配置の危険が隠しています。自分の国民解放する仕える人々は国民のためにないが自由のためにそれをしています。彼らは各人が一人一人自由なとなったでしょう事のためにそれを最初にしています。各人は自分自身と自分の霊的に又は親族で親しい人を解放する事のために解放の過程でそう行動していますが、何か発明される国民に存在しない負債を支払う債務者が全然いません。
民族間関係の機械が複雑あまりない。それは比較的に易いそして国事について哲学の密林を作る必要ではありません。最初に、簡単な 規則を記憶する事が足りる:私達が人を精通しなくてが彼の民族を知っていたら、彼の未来で行儀の確率だけについて話してもいいですが、私達は民族で人を判断する権利を持っていません。知らない人に対する唯一否定的な態度が不信ですが、それもこの知らない人の民族に依存しません。しかしこの不信は全然侮辱的なと見えてはだめです事のように、扉に錠と窓に警報は侮辱的なと見えていません。
民族紛争は人々が友達となって同じ敵に対する対決する事が出来たでしょうその人々を口論に巻き込む事が出来る悪である。人類は民族紛争を支えるそんな経典を持っていません。しかし主な悪は自分を解放する目的があるくびきの代わりに、国民に奉仕する新しいくびきを押し付けられている事で成り立つ。そして動きは個人の上に群衆の利点の方向に起こっている、国民が群衆ですから。時間通り止めなかったら、それは余儀なく全体主義に繋がります。
社会の上に個人の利点は群衆の上に当局全然ではありません。どれでも暴君はこの群衆の部分ですからが、彼がこの群衆で上又は下の地位を占めて居ようともです。より良い地位は群衆の上にではないが群衆の外です。物理的に群衆の外いる事は余儀なくではありません。精神的な隠遁生活は意味される。つまり、自分自身を意見をもっていまして、自分自身の発達を止めないのためにその群衆の概念で判断しない必要があります。それももっと開発して、群衆の概念を無視して、もっと完璧なとなります。それとも、自分の価値体系について群衆の人々を全然知らせません。
それは丁度同じ西洋の基督教の個人主義がでしょう。そして基礎はここに記憶するのために二つ事だけです。第一の基礎が社会の上に個人の利点です。それが正しい基督教です。個人の上に群衆の利点事が悪魔の全体主義に導く悪です。
二番目の基礎は解放する正しい価値です。これが神と恋と真実と自由です。奴隷にする偽の価値は祖国と民族と国家と組織と政党です。
あなただけがこれら価値中で選びます。あなたの代わりに誰もはこの選択をしません。
英語で同じもの The same in English: https://www.proza.ru/2012/08/29/806
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